元チャンピオン具志堅用高氏とご家族(東京新聞より)
2011年5月29日
宇佐美 保
『東京新聞(2011.5.29):質実な両親 我慢強さ学ぶ』に、元ボクシング世界チャンピオン具志堅用高氏の御家族のお話が紹介されておりました。
尊敬する具志堅氏のとても素晴らしいお話なので、ここに全文を掲載させて頂きます。
ぐしけん・ようこう1955年沖縄県生まれ。21歳でWBA世界ジュニアフライ級チャンピオン。以降、連続13回防衛。 25歳で引退後はボクシングジム会長として後進育成に励み、タレントとしても活躍。ユニークな発言で人気。 沖縄原石垣市で生まれた。四人きょうだいの三番目。おやじはカツオ漁船の船長だった。我慢強く、根性がある。頼んで、一度漁に連れていってもらったことがある。カツオの群れを見つけると、家ではおとなしいおやじが大声を張り上げていた。 勢いがあった。仕事しているおやじは格好よかった。 勝負にこだわる父 勝負にもこだわる。俺が友達に相撲で負けると、嫌な顔をしてね。逆に勝つと喜び、笑顔で褒めてくれるんだ。だから、小学校の運動会は楽しみだった。かけっこは一番だったから。喜ぶ顔が見たくて、運動会が近づくと、砂浜で一人、スタートの練習をしたよ。 おふくろはしっかりした人で、家族を守ってくれた。やんちゃな子どもだったから、おふくろには怒られっ放し。 うそをつくな、言葉に気を付けろ、人に迷惑をかけるな、と。七十歳で亡くなる直前まで、それこそ病室でも、同じことを言われた。子どもだろうが、チャンピオンだろうが、差をつけない。神さまみたいな人だった。 ボクシングを始めたのは、沖縄本島の高校。「けんかは駄目」と言うおふくろには内緒だった。「戻ってこい」と言われるから。 だが、強かったので新聞に載って、ばれた。おふくろは猛反対したそうだが、俺は東京へ。どうも、おふくろはボクシングをプロレスと勘違いしていたらしい。周囲に「あんな小さい体でプロレスできるのか」と漏らしていたから。 両親はハングリーな生活を送ってきた。毎日同じものを食べ、おいしいものなんて食べることばなかった。そんな両親から、ボクサーに必要な我慢強さを学んだね。 特におふくろは、俺がチャンピオンになっても外で働いていた。私生活はきちんとしなさい、という思いを俺に伝えたかったのかな。ボクシングを頑張ったのは、そんな両親に楽をさせたいからだった。 島での暮らしも、ボクサー具志堅を育てた。砂浜で足腰を鍛え、海で泳ぎ、魚を食べて丈夫な体、骨をつくった。 パイナップル収穫のアルバイトもきつかった。畑は家から遠く、途中で抜け出せない。 疲れても諦めず、朝から晩までやり通す。粘り強さが染み付いたね。 優しくて強い妻 嫁さんと出会ったのは二十三歳のとき、紹介されて。妻は二十二歳。引退後、結婚した。しつかり者。ぶれがなく、堂々としている。けんかの記憶…、ないね。二人の息はぴったりよ。嫁さんはいつも「好きなことをやれ」と。 強い女性でもある。だって、優しさは強さだろ。 子どもは二人。長男長女。 それぞれ独立した。俺は褒めて育てた。俺も褒められて強くなったから。褒めれば褒めるほど、頑張るから。それが教育方針。二人とも素直な性格に育ってくれたよ。 |